晴れのち曇り。
二次元や三次元のかたちは、色や質や、かたち自体のかたちなどで作られていますが、
音のかたちも、それと似ているように思います。
似ている、というか、同じなのかも知れません。
このごろ、そういう事が、すんなりとイメージ出来るようになってきました。
絵を描くという事は、
そういう、色や質やかたちをバランスよく配置することによって、
新しい平面を構築する、という事だと思うのですが、
曲を作る、ということも、同じ事のような気がします。
なので、もとより、
絵にも音楽にも、「抽象」や「具象」などというものは存在しません。
何が描かれているか、ということよりも、
要は、そのバランス感覚が一番大事な事なのでしょう。
でも、その事だけで、感情や風情や、もっといろいろな事を表現できるなんて、
これは、とても不思議なことです。
これが分からないと、作品を作ったり価値判断したりする事は出来ないのですが、
これは、専門的な知識がなくても、誰にでも出来ることだと思っています。
ただ、普通に感じるだけで。
でも、実際は、美術関係者でも、作家と名乗っている人でも、
これが意外に分からない人が多くて、
それが、美術やアートの底辺が広がらないことの一因のような気もします。
今日は、阪神淡路の震災から18年目の朝でした。
あの寒い朝。
神戸に住んでいたほとんどの人達は、もう死ぬかも知れない、と思ったかも知れません。
僕も、ああ、もう死ぬのだな、と思いました。
強烈な揺れの最中、
このコンクリートの建物が崩れて、僕は押しつぶされるのだろうと思いました。
でも、建物は頑丈だったので、僕は死なずにすみました。
それから一ヶ月、水道は止まったまま。
食料もままならず、いろいろな事を考えさせられた時間でした。
飲み水を備蓄している事は、とても大事だと思います。
それと食料と。
それだけで、ずいぶんと、心に余裕が生まれます。
また、必ず、地震はやってきます。
僕は、地震に対して、何ができるのだろう。
僕は、美術にたいして、何ができるのだろう。


今日のドローイングは、「ザ・日本」です。
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